客室乗務員1年目【辛かったこと】

bird on the lake

こんばんは、れいです😌

今日は訓練後CAとしてフライトし始めた新人時代のことを思い出そうと思います。

辛かったことも楽しかったことたくさん経験し過ぎて、つい数ヶ月前まで普通の大学生だったのが想像できないくらい濃密な毎日でした。

その中でも今回は辛かったことにスポットを当ててお話しします。

1. 不規則な生活(夜眠れない、朝が辛い、、)

それまでは早起きと言ってもせいぜい5時、頑張って4:30くらいしか経験がありませんでした。

しかしCAになると3:30、3:00という日も結構あります。特に私は空港から離れた実家に暮らしていたため、タクシー出社でも空港まで30〜40分ほどはかかっていたと思います。

そのため前日の夜は翌日の早朝出社に備えて早め(私の場合は早過ぎても寝付けなかったので21:00頃)にベッドに入るようにしていました。

しかし、なかなか寝付けない。。。1時間経ち、2時間経ち、3時間経ち、、、私の場合、ひどい時は一睡もできずに翌朝は最悪な体調で出社することも結構ありました(空港に着いた途端、緊張と体調不良でトイレで吐いてしまうことも)。

それでもフライトはなんだかんだ何事もなく普通にできてしまうのは不思議でした。

帰着後もクルーで飲みに行くとなると(私の勤務時は時間制限付きで宿泊時の飲酒もOKでした)、一人だけ行かないわけには行かず、みんなについて行くことに。

それでもなぜか大丈夫なのです。時々、他職種の方々から「CAは妖怪だ」と言われることがありますが、まさにこういうタフなところなのだと思います。笑

そしてどんなに疲れていても地方ステイはとても楽しく、いつの間にか元気になって帰ってくる、という癒しのステイ時間でした。

 

2. 新人1人でジャングル(笑)に放り込まれる

少し語弊があるかもしれませんが笑、普通の大学生が約2ヶ月間の訓練期間を経て晴れてCAとなると、まずは同期も一緒のフライトで一緒にOJTをします。

しかしその数日のOJT期間を終えると、いきなり新人1人で大先輩方のフライトに放り込まれます。

私の頃は同期の人数も割と少なかったので、最初の2ヶ月ほどはほとんど新人1人の状態で先輩たちとフライトしていました(その後、徐々に次月入社や既卒の同期がラインアウトし始め、同期フライトができました)。

その頃はCAの常識や暗黙のルールなども知らず、毎日手探りで先輩の顔色を伺いながら慣れない生活リズムにも苦しみ、必死に奔走していた記憶があります。

 

例えば、ラインアウト後、新人は毎フライト前のブリーフィングでその日の自分の目標を言わなくてはいけないのですが、なぜか私はそのしきたりをOJTインストラクターからは伝えられていませんでした。。。

なんの悪気もなく、ブリーフィングを終えて機内に乗り込み、隣の綺麗な先輩に大緊張の中、自己紹介すると「ねぇ、私あなたのこと知らないんだけど?」と怒り気味に言われて良くわからず固まる私。。。

これは、、、テレビで良く観るやつだ!!、でも現実にあるとは、、、と思っていると、

「今日が何日目のフライトなのか、どういう目標なのか言ってくれないとわからないから!」とまた怒り気味に言われたのです!!

怖かった。。。

しかし私はその後、秒で素直に謝り、今日の目標を足早に伝えるとそこから先輩の機嫌も良くなり、無事3便を飛び切りました😌

結局その先輩とは打ち解けたのでよかったのですが、ここは新人にとっては本当にジャングルだ、、、と怯えながら悟ったのを覚えています。。。

3. ペーワーク

これは航空会社に限らずどこの会社でもあることだと思いますが、中学・高校と優しくフレンドリーな先輩方に囲まれてきた温室育ちの私はペーワークに慣れていませんでした。

まずは暗黙のルールや既存のペーワークを情報通の同期から聞き出し、同期でリスト化し、同期同士のグループメルマガ(時代w)に流してもらって実践していました。

しかしペーワークも時と場合によりけりで、その場の空気を読みながら時には別の人にやってもらった方が全員にとって流れ的にスムーズだったりします

何が何でもペーワークを実施しなければいけない、と意気込んでも本当に気が利くペーワークを行うにはその辺の臨機応変さが求められます

ペーワーク一つで「あぁまたできなかった」「私がトロいから先輩がやらざるを得ない状況にしちゃったのかな」などなどすごく悩んでいました。笑

今考えると本当に何も知らずに社会に紛れ込んでしまったのだなと気恥ずかしくなります。。。

4. 自分の仕事のやり方が合っているのか不安

ちゃんとした数値で成長が測れないというのもCAの大変なところです。

特に新人時代はどのくらいの基準までできていたらいいのか、自分は同期と比べて遅れをとっていないか、などなど基準がはっきりしないことが原因でたくさん悩みました

成績で数値化されたり、ここまでできれば合格!というようなはっきりした基準があれば、それを基準に自分はあとどれだけで満たせるのか、どのように努力すべきかが分析しやすいと思います。

 

一応CAにもそのような評価基準やマニュアルがあるのですが、

・お客様のニーズは拾えているか
・他のクルート協力しながら仕事ができているか
・自然な笑顔が保てているか

というような抽象的な基準で、これらは見る人によっても評価基準が違ってくるような気がします。

さらに、「これってできて当たり前じゃない?」という思いから、「きっとこの言葉の裏にはものすごく高度な要求が隠れていて、求められるレベルというのはもっと高いのでは?」と深く勘ぐり、自分なりに努力の方向性がわからなくなったりしていました。

 

結局、最初の頃は毎日自分なりにフライト日誌をつけ、どんなに小さなことでも思い出して反省し、次に生かすことにしようと決め、なんとか自分の努力の方向性を見出すことができました。

5. 将来への漠然とした不安

フライトし始めの頃は国内線からのスタートでした。

国内線は早番と遅番があり、早番だとだいだい5:00-6:30頃出社し、13:00-15:00頃にホテルで解散、遅番だとだいたい13:30-15:00頃に出社し、21:00-22:00頃にホテルで解散というイメージです。*時間は目安

まず早番で勤務が終わると、地方ステイの場合は部屋で寝転んだり、外に遊びに行ったり、コンビニにご飯を買いに行ったりと他の会社員が忙しく働いている時間に仕事を終えて自由時間となります。

また遅番の時も同様、一般的な会社員が出社して忙しく働いている時間に起き出します。

そのような毎日を送っていると、大学時代の平日勤務で毎日奮闘している友達と比べて、漠然と不安になりました。

私はこんな時間にこんなにのんびりしてていいのか?
この前まで同じ大学生で同じように成長してきたのに、私は置いて行かれるのではないか?

と漠然とモヤモヤし始めました。

今思えばその時間に資格の勉強をしたり、外に出かけて新しいものに触れたりといくらでも成長の機会はあったはずですが、一体自分が何をしたらいいのかただただモヤるだけの日々でした。。。

しかしだんだんとそれが当たり前になっていき、「楽しいからいっか!」という気持ちになり、いつの間にか私もCAの一員になっていました

国際線に移行してからはフライトの事前準備で前日は数時間勉強やイメージトレーニングをするなど充実し、それはそれで大変でしたが新人時代のような漠然とした不安はもう出て来なくなりました。

まとめ

以上が私がCA1年目に体験した苦労の話です。

他の仕事に比べて毎日違う時間に違う場所に違う人といるので自然と時間は早く過ぎていきます

時間が早く感じるということは、実際には3泊4日あったフライトが、自分の体感的には1泊2日の出来事のように感じるのです。

つまり時間は過ぎて年はとっていくのに、本人の感覚的にはその半分くらいの時間しか経っていない=実年齢より見た目年齢が若く見えるというカラクリです。

私はその原理を発見してから、周りに年齢負不詳の先輩方がたくさんいらっしゃることにもとても納得できるようになりました。

 

こうやって思い出すと大変な中にもたくさんのいい思い出もあり、本当にCAになってよかったと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

それではおやすみなさい😌

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